今なぜ有機農業なのか vol.3
みどりの食料システム戦略の実践レポート vol.9
2024年10月 業務執行理事 南埜 幸信
⑸増大する医療費と国家財政の危機
➀マクガバン・レポート
アメリカの有機農産物マーケットの拡大の発端として、1977年のマクガバン・レポートの果たした役割は大きい。1960年代のアメリカでは、心臓病の死亡率が1位でがんは2位であった。国民の心臓病にかかる医療費だけで、経済はパンクしかねないといわれるほど、医療費の増大が深刻な問題となっていた。1977年には、1180億ドル〈当時のレートで約25兆円〉にも上った医療費が、まさに国の財政危機を引き起こす要因となるような状況であった。この財政的危機を打開するために医療改革が進められ、その一環としてアメリカ上院に調査機関として「国民栄養問題アメリカ上院特別委員会」が設置され、全世界から当時の各分野で最高峰の選りすぐりの医学・栄養学の専門家が集められ「食事〈栄養〉と健康・慢性疾患の関係」について、世界規模での調査研究が7年間の歳月と数千万ドルの国費を投入して行われた。そして1977年に、延べ5000ページにも及ぶ膨大な報告がなされた。このレポートが、委員長のジョージ・S・マクガバン上院議員の名前をとって「マクガバン・レポート」と言われ、食べ物と健康に関する問題を明確に世に問うこととなったのである。
このレポートがまとめられた背景には、前述の通り、アメリカの国家財政を圧迫するほどの巨額に膨れ上がった医療費問題があった。委員長のマクガバン氏によると、その実情は、「巨額の医療費を注ぎ込んで、それで国民が少しでも健康になればいい。しかし、現状の事態は全く逆で、このまま推移すれば、アメリカの国そのものが、病気のために破産してしまうだろう」という深刻なものであった。その根本原因の解明に、アメリカは本気で対策をたて、取り組んだということである。そして2年間にわたり、当時の金額で約200億円をかけ、世界中を過去150年前までさかのぼり約3000名を超える医療関係者の証人喚問などを審議調査し、多くの詳細な結果と重要な結論を究明した。レポートでは、これらの問題の解決策として重要なのは「食生活」にあると着眼し、「諸々の慢性病は、肉食中心の誤った食生活がもたらした『食原病』であり、決して薬では治らない。この間違った食生活を改めることでこれらの病気を予防する以外に、先進国が健康になる方法はない」とし、さらに「我々はこの事実を率直に認めて、すぐさま食事の内容を改善する必要がある」と、いくつかの項目にわたり、食事改善の指針を明確に、そして具体的に打ち出したのである。
要約すると、「高カロリー・高脂肪の食品、つまり、肉・乳製品・卵といった動物性食品を減らし、できるだけ精製しない穀物や野菜・果物を多く摂るように」と勧告している。そこで、最も理想的な食事と定義したのは、なんと、元禄時代以前の日本の食事、伝統的な日本人の食事であることが明記された。また、マクガバン・レポートを補足する形で発表されたのが「食物・栄養とがん」に関する特別委員会の中間報告であり、そこで注目されるのは、「たんぱく質(肉)の摂取量が過剰に増えると、乳がん・子宮内膜がん・前立腺がん・結腸直腸がん・膵がん・胃がんなどの発生率が高まる恐れがあり、これまでの西洋的な食事では、病気のリスクを避けることができない」と述べられた。
これらの歴史的レポートは、日本以外の先進国では健康政策の原点とされたが、なぜか日本だけは、無視するどころか過去の間違えたアメリカの栄養学を追う形をとり続けている。理想的な食文化を持っているはずの日本がなぜ悪い手本を追うのか、全く理解できない。日本の国民医療費については、2018年度では約42兆6000億円、国民一人当たりの診療費をみると、2014年には31万4000円であったものが、2018年には33万7000円と、5年間で2万3000円、率でいうと7・3%も増えている。このまま増え続ければ、日本もまた高騰する医療費により、国家財政が破綻してしまう危機にある。ましてこれからは高齢化社会が加速度をつけて広がり、特に団塊の世代が後期高齢期を迎える。特に都市部で顕著な傾向であるがんの患者率の高さから考えて、現状のように高齢化に伴うがんの発生率の増大が続くと、その医療費は特に高額であることから、国民医療費は加速度的に増加し、国家財政を逼迫(ひっぱく)させ自治体の負担を急増させてしまうことは明白である。
様々な策を尽くしたが、アメリカの財政は、増え続ける医療費をささえることはできなくなり、結果として国民皆保険制度は廃止された。このため、アメリカでは、お金に余裕のある人でないと、医療保険に加入することができないという状況が最近まで続いていた。ちなみに、いわゆるオバマ改革によって、アメリカの国民皆保険制度は復活したが、財政的な問題から、その法案成立には議会の根強い反対があったことは記憶に新しい。このような流れのなかで、マクガバン・レポートの発表を端緒としてアメリカの疾病対策は治療から予防へと大きく舵をきることとなった。統合医療としての予防医学や代替医療への研究や取り組みのスタートである。
⑹アメリカの統合医療〈予防医学・代替医療〉と有機農業
統合医療〈予防医学・代替医療〉の先駆者として、アメリカには、ワイル博士が登場することになる。ワイル博士は、ハーバード大学の医学部を卒業し、アメリカの大学で初めて「代替医学講座」を開き、文明社会における自然療法・統合医療の可能性を追求したパイオニアとして知られている。また、かつて『タイム誌』で、アメリカに最も影響力のある25人にも選ばれ、博士の著書『人はなぜ治るのか(Health and Healing)』は、全米のノンフィクション部門で1位というベストセラーになったこともある。その実践書『ワイル博士のナチュラル・メディスン』とともに、医学研究と治療分野での功績に対するアメリカ最高の賞といわれる、ノーマン・E・ジンバーグ賞が与えられている。ワイル博士は、患者自身の治癒メカニズム(自然治癒力)の働きを強化して「自発的治癒」に導くことのほうが、ときに西洋医学より安全で確実、そしてより経済的である、との視点に立って、独自の統合医学プログラムを実践している。
このワイル博士がいう自然治癒力とは、「生体の恒常性を維持する機能=ホメオスタシスによって、DNA、細胞、組織、神経などが再生能力を発揮することにより、病気になっても回復することができる、誰にも内在している治癒システム」のことと定義されている。
ワイル博士の統合医学プログラムは、米国アリゾナ大学医学部の医学部門のひとつとして1995年から継続的教育がスタートし、97年7月には、全米に導入され、最初の特別研究員が選抜されている。今ではハーバード大学、コロンビア大学、エール大学など、各大学が専門の機関を設置し、それらが母体となって、全米各地に統合医療プログラムを行う機関が生まれつつある。
近年、アメリカの国立衛生研究所(NIH National Institutes of Health)が、統合医療の研究に本腰を入れるようになり、その結果として、アメリカの国民の半数近くが統合医療を受けたり、統合医療との連携をすすめているといわれている。これだけアメリカが統合医療の研究に予算を割き、研究機関を増設する理由は、医療費の高騰を抑えたいということだけではなく、西洋医学だけでは病気が良くならないということを、認識し始めているからと推察される。ワイル博士も指摘するように、西洋医学は、解剖学の知識や高度な診断機器の発達などでミクロの病気をつきとめたり、緊急を要する外科的な処置や病原微生物を攻撃する治療法には優れている。その反面、手術や投薬はあくまで対症療法であり、根本的な治療に至らないケースがよくあるということである。まして、自然環境の悪化や食生活の乱れ、睡眠不足や運動不足、過度のストレスなどによって、肥満・高血圧・糖尿病・高脂血症・がん・歯周病などの生活習慣病が増え、これらの「現代病」は先進国共通の問題となっている。
そこで、ライフスタイルの改善(日本の統合医療では養生と呼ばれることが多い)によって、少し健康上の不具合を抱えているが、病名がつくほどの段階ではない(未病)の段階で対処したり、根本的な体質改善によって健康を維持・回復するという代替療法が注目されるようになってきたということである。その意味では、医者に治してもらう「受身の医療」から、自分の力で健康を取り戻す「能動的な医療」へと、新たな医療の扉をワイル博士が開いたといえるのではないだろうか。ワイル博士はその著書『癒す心、治る力』の中で、「医者の本来の仕事は病気の治療ではない。ドクターの語源は、ラテン語の「教師」であり、このことからわかるように、病気にならないようにするための指導・教育こそがドクター本来の使命であり、その次に、かかってしまった病気の治療ということなのである」と述べている。
博士はまた、「人間の体にある治る力、つまり自然治癒力(治癒系)の知識があれば、より健康になることが可能であるとし、この概念に親しく接していけばいくほどに、不必要な、時には危険でもあり、法外な医学的介入を用いなければならない理由が少なくなっていくであろう」と述べている。また、「体に備わった自然治癒力を活用する治療法は、テクノロジー医学の心身に対する強力な介入療法よりも、はるかに安上がりであると同時に安全であり、長期的にみれば効果的である」とも述べている。そして、食べ物とこの自然治癒力との関係について、重要な理論を表明している。
➀治癒反応を遅らせる理由のひとつに有害物質の過剰摂取をあげるのはごく当然のことである。我々は、有害物質を飲食物とともに、呼吸する空気とともに体に摂取している。有害エネルギーも有害物質も、自発的治癒に必要な情報を含んでいるDNAを損傷しかねない。それらは自然治癒力が依存している生物のコントロール機能を混乱させ、防衛力を弱らせ、がんをはじめとする病気の進行を促す。過剰な有害物質はまた、アレルギー・自己免疫疾患・多様な消耗性疾患(たとえばパーキンソン病・筋萎縮性側索硬化症など)で、原因不明とされているものの主要原因ではないかと考える。
➁ライフスタイルの選択が遺伝子と相互作用して、我々が加齢とともに経験するクオリティ・オブ・ライフ(生命の質)を決定しているという可能性は否定できない。私は、ライフスタイルが病気にかかるリスクを大きく左右し、自然治癒力にもかなり影響していると確信している。あらゆる選択事項の中でも、食べ物にかかわる事項は特に重要だ。食べ物の選択は、自らの意思でどうにでもできるからだ。
➂農薬をはじめ、環境有害物質に関する私の関心は、急性の被害よりむしろ、長期にわたって自然治癒力を弱らせることで、がん、免疫機能不全、まだ毒物との因果関係が解明されていない(パーキンソン病のような)さまざまな慢性疾患になるリスクが高まるという点にある。長期間、多様な汚染源と接触し続け、有害物質が少しずつ蓄積した結果、そのような影響がでてくるものと思われるからだ。
➃野菜や果物には、殺虫剤・殺菌剤・成長促進剤・土壌薫蒸剤など、じつに多種多様の農薬が使われている。そのすべては、残留レベルが法に定められた『基準内』の使用ということになっている。しかし多くは水で洗浄しても除去できない。
➄食品中の化学物質が健康への最大の脅威になっていることは、いくら強調してもしすぎることはない。というのは、医学界と政府がその事実を見逃していることがあまりに多いからだ。
というように、食べ物を中心とするライフスタイルと健康との関係について、医者であり、統合医療のパイオニアとしての立場から強調して論じていることに注目したい。そしてワイル博士は、有害食品による被害を最小限にとどめるための8つの処方として、以下の通りまとめている。
➀動物性食品を減らし抗生物質やホルモン剤を使っていない肉を選ぶこと
➁天然有害物質を含む食べ物をなるべく食べないこと。<博士の指摘する食べ物> 黒コショウ・セロリ・アルファルファもやし等
➂多品目の食事を心がけること
➃果物と野菜は必ずよく洗うこと <理由> 多少なりとも汚染を除去できるから
➄有機もしくは農薬不使用以外の果物や野菜は、できるだけ皮をむくこと
➅有機もしくは農薬不使用のものを買うように心がけること
➆有機食品を扱うように、食品店の店長に仕入れの要請をすること
➇加工食品の消費を減らすことで、人工添加物の摂取を減らすこと
つまり、統合医療(予防医学・代替医療)の世界の第一人者であるワイル博士は、治癒系の観点から病気を予防し健康を維持する要として、食べ物を選ぶ際には、「有機食品」を主体とする「有機ある選択」が大切であると強調していることに注目したいのである。
⑺農業は「病をなくす」産業
病気を遠ざけ予防し、日々健康で過ごすには、どうしたらよいのであろうか?そのためには、家族、身の回り、地球、社会、そして食べ物を育てる土そのものも、健康で自然治癒力に富み、ひいては、地球全体の生態系がよどみなく健全に機能し、活動していることが大切な要件となる。人の生命も地球の永久の生命も、すべてはひとつに繋がっている。そして、生命繁栄の原理は、自然界が定める生命の法則への準拠そのものである。人も土も、そして地球も、すべて生命の集団であり、生命の法則により支配されている。
ところが現状は、生命の惑星である地球が環境破壊という病に陥り、加えて化学肥料や農薬などの化学合成物に過度に依存した農業により土が病み、それを食する人間の集団である社会も病み、医療費高騰による政府財政圧迫の問題や、急速な高齢化も加わり、年金、介護、医療制度の破綻もささやかれている。こうした現実を憂慮(ゆうりょ)し、新しい健康への価値観を提唱する医師や専門家が着実に増えている。科学的根拠のない理論を受け付けない現代医学に対し「人の心のありかたや、プロセスと治療結果」を重視し、ときには「病との共生」をも認めながら、代替医療・統合医療の提唱と実践により「病なき持続型社会」の構築に重要な指針を示すようになってきている。
そして、その核心的課題は、ライフスタイルの変革であり、特に食べ物を中心としたライフスタイルの見直し・改善である。さらに、人間が健康でありつづけるために食べ物を育てる貴重な土を未来に残すために、また、飲み水と地球環境を子々孫々(ししそんそん)まで継承するためのその鍵をにぎっているのは、まさしく農業であるということである。
そしてその農業の方向性について、つまり農業が持続型社会の扉を開く役割を果たせるかどうか、その鍵を握っているのは一人ひとりの消費者であり、その代表としての小売企業のバイヤーたちである。それは、それぞれの方々が、日々どのような農産物を選択していくのかということにかかっている。つまり、健康で持続性のある社会を構築し、地球環境を守れるかどうかは、日常のあらゆる場面で、われわれが「有機ある選択」ができるか否かにかかっているということを、今こそ声を大にしていいたいのである。この決断の先に、文明の興亡があるといっても過言ではない。しかもその実行には、そんなに猶予は与えられていないのである。
この記事へのコメントはありません。